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日本ホーリネス教団

松山桑原キリスト教会

『全て重荷を負うて苦労している者はわたしのもとに来なさい。
あなたがたを休ませてあげよう。』   (聖書)

日曜日10時30分から聖日礼拝をライブ配信しています

※お願い 動画配信で礼拝を守られた方は、LINE、メール、電話等で教会に連絡してください。礼拝出席者としてカウントされます。
 ライブ配信終了後は、メッセージの音声を配信します。

聖日礼拝 2024年4月28日
説教題 「命のパンであるイエス」
聖書箇所 ヨハネによる福音書第6章34~59節
説  教 安井 光 師(壬生川から)

【礼拝式順序】
前  奏
招  詞  詩編第95編1~7節
頌  栄  (60) 天地こぞりて
信仰告白  使徒信条(826頁)
賛  美  (22) 御神の愛をば
公同祈祷  主の祈り(826頁)
賛  美  (202) 一度 死にしわれをも
交 読 文  4番(詩編18編) 
祈  祷
聖書朗読  ヨハネによる福音書第6章34~59節
説  教  「命のパンであるイエス」
祈  祷
賛美・献金  (201) イエスはわがいのち
祈  祷
頌  栄  (63) 父、御子、御霊の
祝  祷
後  奏


先週の礼拝メッセージ

2024年4月21日
説教題 「必要を満たされる神」
聖書箇所 出エジプト記第16章1~36節
説  教 安井 光 師

 

 イスラエルの民は、エジプトを出て数日の間に「マラ(苦い水)」から「エリム(祝福の泉)」に導かれる恵みを経験しました(15:22∼)。喉の渇きは癒やされましたが、今度は食物が不足しイスラエルの全会衆がモーセとアロンに呟いたのです(2∼3節)。彼らは呟かないで主に叫び、主に信頼して祈るべきでした。主はご自分の民の叫びを聞かれ(2:23、3:7)、すべての必要を満たされる神であるからでした。

  憐れみ深い主はイスラエルの民の呟きさえも聞かれ(7、8、9、12節)、裁きではなく恵みの賜物を天から下されるのです。夕方にはうずらが飛んできて宿営を覆いました。民はうずらの肉を食べることができました。また朝には宿営の周りに露が降り、霜のようなものが地表に積もりました。民はそれを「マナ」と名付け、パンのように食べることができました(民数記11:7∼)。主はマナとうずらとをもって、民の食の必要を十分に満たされたのです(12節)。

  イスラエルの民はカナンに入るまでの荒野の生活において、朝ごとにマナを集め食物としていくのですが、そのことには二つの教訓的なメッセージが込められています。一つは、日ごとに主の恵みを慕い求めるということです。民は毎朝一日に食べる分のマナを集めました。太陽が昇ると溶けてしまうので朝集めなければならず、また余分に集めても保存できないので日ごとに新しく集めなければなりませんでした。日ごと・朝ごとに新しく、神の恵みとして日用の糧を受けることを学んだのです。もう一つは、安息日を守るということです。民は日ごとにマナを集めましたが、六日目だけは二倍のマナを集めることが許されました。七日目は「主の聖なる安息日である」からでした(23節、創世記2:2∼)。主は民の肉の必要だけでなく、霊の必要を満たすために安息日(主を礼拝する日)を定められたのです。

  イスラエルの民のみならず、私たちは肉体の必要を覚えるとともに、霊的な必要を覚える存在です。それは主によってそのように造られているからです(創世記1:27、2:7、マタイ4:4)。肉の糧と霊の糧の両方を与え、私たちのすべての必要を満たされるのは主お一人だけなのです。主イエス・キリストは、永遠の命を与える食物、天からのマナ、命のパンとなられました(ヨハネ6:35)。主は私たちの叫び、また呟きさえも聞いて下さり、私たちの飢え渇きを満たして下さるのです。ですから、思い煩うのではなく、また呟くのではなく、主に信頼して主の道を歩ませていただきましょう。

集会案内

子ども礼拝  日曜日10:30
礼  拝   日曜日10:30
夕拝(随時) 日曜日19:00
 (電話でご確認ください)
祈 祷 会    木曜日10:00
聖書を読む会 第3水曜日 10:00

日本ホーリネス教団
松山桑原キリスト教会
牧師 安井 光 安井 直子
〒790-0911
松山市桑原2丁目2-14
TEL 089-941-8997

松山桑原キリスト教会は、愛媛県松山市にあるプロテスタントのキリスト教会です。
統一教会、モルモン教、ものみの塔とは関係ありません。


初めての方へ
人に必要な魂の安息

 日曜日は、多くの人々にとって休みの日(休日)です。カレンダーには通常の日と色分けされ、赤色で記載されています。ウイキペディア(インターネット百科事典)で「日曜日」を調べると、「神が天地の創造を六日間で終え、七日目に休んだとされる創世記が日曜日の起源」とあります。

 確かに、旧約聖書・創世記1~2章には、神は六日の間に天地創造をなさり七日目に休まれ、その日を聖別し祝福されたということが記述されています。

 その日は後に「安息日」と呼ばれるようになりますが、今ではキリスト教国だけでなく日本でも日曜日を安息の日として休みます。神は七日目に創造の業を終えて休まれたのですが、それは神のかたちに創造された人間に休みを与えるために他なりませんでした。

 神が休まれたのですから、人間が休まなければならないのは当然でしょう。休むことをしないで活動をし続けることは、肉体的にも精神衛生上も良くありません。

 神は”魂の安息”を私たちに与えて下さる方です。創世記に示されているエデンの園は、楽園のモデルと言われますが、人は誰でもエデンの園で神がアダムやエバに賜わった安息を慕ってやまない、魂のDNAを持っているのではないでしょうか。私たちには肉体の休息だけでなく”魂の安息”が必要なのです。

 クリスチャンは、日曜日に天地の創造主なる神、神の御子・救い主であるイエス・キリストを礼拝します。礼拝をささげる時、心に安らぎが”魂に安息”が与えられます。

 イエス・キリストは、「すべて重荷を負うて苦労してい者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。・・・あなたがたの魂に休みが与えられる」(マタイ11:28~29)と、すべての人を神による真の安息へと招いておられます。

 神は、魂に安息を与えてくださるお方です。ぜひ教会にお越しください。私たちの教会はあなたのお越しを心から歓迎いたします。